第6回
「懐かしの夜戦のはなし」

(2005年2月21日)


 今夜の話しは、クラフトフェルトで「野戦=のせん、夜戦=よせん」と言い分けていた頃の話しである。話しの前に、なんで言い分ける必要があったかというと、野戦も野戦もどっちとも「やせん」と発音する訳で、夜戦の話しをしてるのに野戦装備の話しと混同するおっちょこちょいがいたりしたので、わざわざ呼び分けていたのだ。

 クラフトフェルトで夜戦が行われていたのは、1994年から1996年くらいまでじゃなかったかな。丁度、マルイからフルオート・トレーサーというのが発売されて、連発で発行弾が撃てる様になってからだ。真っ暗闇の中を、一条の光の弾道を描いて飛んでいくサマは、今思い出してもきれいだと思う。湾岸戦争のイラク軍の対空砲火もあんな感じだったな。(ナイトビジョンの映像だった訳だが)

 クラフトフェルトの夜戦は、このフルオート・トレーサーを使うために催されてた、といっても過言じゃなかったと思う。識別用に両腕にケミホタル(夜釣りの浮きに付ける小さいサイリウム)を付けるのに反対する隊員はいたが、フルオート・トレーサー使うのに反対の奴はいなかったから、みんなあの光る弾道が好きだったんじゃないか、と思う。

 もっとも、弾道が光るだけあって、撃てば必ず自分の位置は敵にバレるし、撃ってくれば敵の位置は直ぐに判る。しかも、両腕にはケミホタルが付いているから、ちょっとでも遮蔽物から体を出そうものなら、やっぱり位置はバレてしまう。距離が遠くて射程外でも、敵の動きは見える訳だから、今から考えたら、よくもまぁ、戦争になったな、と思う。イコールコンディションだから成り立っていた夜戦なんだろう。

 実は筆者は、ほぼ同時期に、練馬のとある大きな公園を根拠地にしていた夜戦専門のチームにも顔を出していた。そこはフルオート・トレーサーなし、しかも識別用のケミホタルもなし。真っ暗けの中で、わずかな街灯の明かりを手がかりに夜戦をやっていた。当然、敵の姿は見えないし、撃たれてもどこから撃たれたかさえ判らない。最初はヤラれに行ってたようなもんであった。

 しかし、人間よく出来たもので、何度か通っているうちに、わずかな影の動きや気配、敵の射撃音で位置を確認する事など、敵の動きがつかめる事が出来るようになってきた。ウソの様な話しであるが、ある程度、フィールドの地形を覚え、参加してるメンバーの人となりを飲み込む事が出来れば、暗闇での敵の動きが何となし判るし、事実、いると思った方向に撃つと命中する事が多かったから、やっぱり慣れは凄いものである。もっとも、あくまで何度か通って慣れなきゃダメなんだが。

 そんな夜戦ライフも、1998年、TPOに加盟するとピタっと終わってしまった。というのも、クラフトフェルトが使っていた都内のフィールドが全部潰れて、夜戦できる場所がなくなってしまったし、手賀沼フィールドは夜戦するには足下が危ない。そしてTPOが夜戦をやらない団体なので、必然的に夜戦から遠ざかってしまったのだ。

 もし、今、夜戦をやるとなったらどうなるか。答えは簡単である。自分は晩飯を食ったらダレてしまうし、O伍長は明くる日がツラいと文句を言うし、S上等兵は昼でも弾道が見えないのに夜はどうなのか判らない。夜戦というのは、若さ溢れる人が出来る、ある種特権的なゲームなんじゃないかと思う。