第8回
「カメラの歴史」

(2005年9月25日)


 胸ポケットにデジカメを入れたまま、ハイジャンプなどして遊んでいたら、カメラがポケットからすっぽり抜け落ちて、そのまま床にヘルダイブして、液晶が壊れてしまった。粗末に扱っているつもりはないのだが、活動家にはこういう不慮の事故がつきものだ。
 という事で、今回はカメラの話しである。

 カメラは言うまでもなく、その場の瞬間を写真に納める為の装置であるが、何か「撮りたい」いう意欲や対象がない事には用事のない機械である。自分がカメラを積極的に使う様になったのは、言うまでもなく、東京でサバゲーを再開してからであった。そして、それはクラフトフェルトの活動と不可分の使い方であった。


 一番最初に買ったカメラは、コニカの「BIG mini NEO」というやつだった。西田ひかる(当時は若くて可愛かった)がCMをやっていた、いわゆるバカチョンカメラである。とにかく、写真が撮れれば良い、といったスペック要求しかなかったので、可もなく不可もなく文句もなく使っていたが、買って一年もしないある日、まったく動かなくなったのでサービスセンターに持って行ったら、数日後「冠水しています」とのご連絡。水に漬けた覚えはないのだが、どうもウチのアパート、湿気が多いらしく、それでお釈迦になってしまった。意外ともろいカメラであった。
 あった物がなくなると、思いの外困るもので、その後数日を待たずして次ぎのカメラを買った様な記憶がある。二台目のカメラは、やはりバカチョンカメラで、PENTAXのESPIO80というのを買った。この頃から、バカチョンカメラにありがちな、写真の真ん中は明るく、端っこは暗い、というのが気に入らなくて、良く写真屋の親父にむらなく現像してくれ、と注文を付けていた。その後、デジカメに乗り換えたため、あまり使う機会もなく、今でも本棚の中でホコリをかぶっている。
 さて、いよいよデジカメ時代に突入する。丁度この頃、会社でマックの研修を受けて、ホームページの立ち上げなども行っていた。デジカメも色んなメーカーから色んな製品が出回り始め、会社の先輩にどこのが良いか聞いてかったのが、オリンパスのキャメディアC-80L。お勧めの理由は、「もともとカメラ作ってたメーカーのは写りがいい」というもの。たしかに81万画素と画素が低いので今から見ればかなり荒れた画像ではあるが、明るくキレイな写真写りで撮れている。単三電池4本を使うビッグボディで、シャッター速度も遅かったが、なんといってもデジカメだけに、すぐにマックに落として使えるのがうれしかった。愛用はしててが、何かの拍子に壊れて使えなくなった様に記憶する。
 この当時のデジカメは、今に比べるとまだまだ性能が低く、撮れる写真も多寡がしれていた。その一方、どういう訳かこの頃、やたら写真に凝りたくなって、一眼レフを買ってしまう。ニコンのF50sという奴で、ニコンの一眼レフとしては一番下のランクのモデルである。レンズやら何やら買おうと思ったら、そのモデルしか買えなかったという訳だ。しかし、最低ランクのモデルであって、やっぱり一眼レフだった。どんなに適当に撮っても「絵」になるのだ。ところが、世はデジカメ全盛時代である。フィルムのカメラはどうにも時代遅れであった。しかも重くて嵩張るため、完全軍装で戦闘しながら写真を撮るなど絶対無理。そんな訳で、次第に部活にも持って行かなくなり、失業した時にヤフオクで売ってしまった。
 ここから先は、デジカメ全盛時代となる。この頃になると、デジカメは相当性能がアップしていて、高画質の物がでまわっていた。その中でメッコを付けたのが、ソニーのサイバーショットDSC-P1、334万画素。これを選んだ理由は簡単。見た目が格好良くて、機能のメカニカルだったからだ。ハンディカムもソニーだった事もあって、メモリースティックが互換が効くのがうれしかった。が、撮れた写真はあまり良い画質ではなく、でかく、嵩張るイヤや奴になってしまった。そんな訳で、買って1年もしないウチに次のに買い換えた気がする。
 この次に買ったのが、富士フィルムのFinepix50i、432万画素。これは今でも隊内で語り草になるほどの優秀機だった。MP3が聞けるなどのうれしい機能のあったりしたが、それ以上に写真の写りが最高に良かった。この頃までのデジカメは、いわゆるバカチョンタイプが主流、というか、一眼レフタイプがまだ一般的ではなかったせいか、この手のタイプでも良い写りだったのだ。このカメラを手に入れてから、部活には毎回持参して写真を撮り、それをレポートにあげる様になった。惜しむらくは、国民平和大行進で広島に行った時に、画像の一部に赤紫の大きなノイズが入る様になった事で、これは宗旨に反するイベントに投入した罰ではなくて、どうやら富士フィルムのカメラには2年で壊れる仕組みがしてあるらしく、同時期に購入したO伍長の50iも同じ症状で壊れてしまった。
 富士の2台目は、FinepixF402、400万画素で、購入した時点ですでにラインナップから外れた製品だった。特別思い入れがあった訳ではなくて、デザインが50iと似てた事、型落ちだったので安く買えた事が購入の理由だった。しかし、写真の写りは50iとは似ても似つかぬひどい物で、ノイズは多いし、ちょっとでも暗いと何が撮れてるか判らない代物だった。しかも三脚の穴まで省略されていて、どうにも廉価にするため手抜きにした様な製品だった。そんな訳で、このカメラは壊れる前に放出してしまった。
 富士の3台目となったのが、FinepixF440、410万画素。これはオルグの最中に、広告を見て、そのデザインの格好良さに惚れ込んで、珍しく衝動買いした。まぁ、ヨドバシのポイントが相当たまっていたので、お金は一銭も使わなかったのだが。買った動機が見た目のデザインだった事もあって、写真の出来映えについてはあまり文句は付けなかったものの、前回のF402よりは良い写真が撮れてたと思う。富士の場合、性能は良いのにデザインがブサイクで損をしているので、このF440は珍しくグッドデザインな製品だった。


 とまぁ、こうやって見てみると、結構いろんなカメラを買い換えてきたもんだ。部活をやってなかったら、あるいはホームページを作っていなかったら、こんなにカメラには用事なかった様に思う。

 さて、F440が壊れてしまったので(撮る事は出来るのだが)、またまた次の機種を物色しているのだが、バカチョンタイプそろそろ飽きてきたので、いっちょう、デジタル一眼レフなんかに挑戦してみようかとか思ってたりする。前回のニコンF50はフィルムのカメラだっただけに、現像代がバカにならなくてそうそう撮れなかったが、デジタルだけにそこら辺は融通効きそうだ。戦闘間に完全軍装で戦闘しながら写真撮る、なんて事もしなくなったし、だったら出来映えのする写真を撮ろうか、なんて思っているのが、また重たくて持って行かなくなったりして……